前にも来た道~
※古いタイプのトンネル
鑿の跡もありそう
昭和の初期の随道とか
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小倉公園も紅葉中~
※遊歩道から少し~
前回は直ぐに上りましたが
今回は川沿いに…
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水車が廃棄されていました。
※排水用のポンプ小屋でしょうか?
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秋色蝋燭~
※色付いた山々が屏風のように~
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水位観測所
※向こうに橋が~
後でね。。
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曽代用水(そだいようすい):岐阜県美濃市曽代の長良川左岸から取水している。
曽代地区を縦断し、小倉山と長良川の間を流れ、
美濃市役所の西側を通り、国道156号に沿って南下する。
松森地区を通過し、東海北陸自動車道美濃ICの東を流れ、関市に入る。
岐阜県道281号関美濃線に沿って南下する。下有知中学校の東を通過し、関市水の輪町付近で3つに分流する。
1本は小瀬地区に、2本は関市街地方面に流れる。美濃市および関市の田畑を潤す重要な役割を果たしている。
かっては板取川との合流地点付近(現在は「みちくさ館」)で取水が行なわれていたが、
河川水位が低くなったため1934年に上流部(天神大橋付近)に取水部が付け替えられた。
江戸時代前半までの下有知村(今の関市)周辺は、水の便が悪く、干ばつがたびたび起こっていた。
この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と林幽閑は、地元の豪農柴山伊兵衛と図り、
長良川上流から下有知村まで用水を引く計画を立て、1663年(寛文3年)に工事を始めた。
鏨と金槌を使う手作業の難工事が続き、多額の工事費がかかり、喜田と林は離脱するが、
柴山は計画を実行し、1675年(延宝3年)まで10年近くの歳月を要して完成した。
喜田、林、柴山の3人の偉業をたたえて、関市下有知の地には井神社が建てられ、3人が祀られている。
毎年8月1日に例大祭が行われる。灌漑面積1027ha、水路延長17km
(Wikipediaより)
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取水口は上流約1.2km
方向
※下流方向
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用水完成供養のため?
※地蔵尊
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丸石・洋館(蔵)が~
※貫禄のある橋梁が~
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前野渡船場跡
上有知湊の近くで
商店や茶店・船頭屋敷が軒を並べ
江戸期から大正期まで
上有知の盛り場の一つだったとか。
(看板より)
※往時の渡し舟?
鵜飼舟でしょうか?
(レストラン花いかだ裏)
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流れも穏やかな~
秋色長良川
※遊歩道は後からね~
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美濃橋(左岸側正面)
美濃橋(みのばし)は、岐阜県美濃市の長良川にかかる人・自転車専用の吊り橋である。
1915年(大正4年)8月起工、1916年(大正5年)8月完成の吊橋である。
現存する最古の近代吊橋であり、2001年(平成13年)に土木学会選奨土木遺産を受賞し、
2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定された。
吊橋を支える主塔は鉄筋コンクリート製。床板は木製であり、
鋼材でできた補剛トラスがあるのが特徴である。
設計、建築は岐阜県出身の建築技師、戸谷亥名蔵。
橋のある場所は上有知湊のやや上流にあり、牧谷街道の前野渡し(渡し舟)により行き来が行われていたが、
交通量が多くなりこの橋が架橋された。
夏場になると川遊びや河原でバーベキューを楽しむ行楽客で賑わうが、
この美濃橋付近は水難事故が多発しており、毎年犠牲者が出ている。関市と美濃市は遊泳者に注意を呼びかけている。
(Wikipediaより)
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美濃橋上流の奇岩
流れは強いのでしょうか?
※広い川幅に多くの人々が
拘っていたんでしょうね~
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右岸側
吊り橋ワイヤー留め
※右岸側正面
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床は木造
飛び込まないでね~看板
※錆がね~下流方面
残して欲しいですね。
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上流方面
※私は真中~
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持つの?
ワイヤーの数…
※川の灯台目指して~
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何?
※揚船場?
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美濃雨量観測所
へぇ~
※湊町会館と川燈台
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湊町会館
神様祭られて~
※住吉さんの燈台のように~
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船着場跡の石畳、住吉型川湊灯台(かわみなととうだい)が残る。
県の指定文化財(1970年、史跡)
川の港前には~
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※船着場から、真直ぐに~
住吉神社が祭られています。
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住吉神社さん
※見返れば~
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美濃橋横から~
上流部
※下流部
此処から美濃紙が全国に~
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碑文
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川港を見下ろす様に建立された
頼山陽と村瀬藤城碑
※燈台は舟用~
常夜燈は人用~
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綺麗に残されています。
※絵になりますね~
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遊歩道を登ります。
※参拝橋
手水鉢も~
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秋色遊歩道を
噛み締めるように登ります。
※住吉さんは
この景色を見守って~
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小さな祠ですが~
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象形文字
『山』
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仮天守閣
※見晴らしは
よくなかったです。
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美濃の町が手に取るように~
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川港から下流方向が良く分かります。
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