其の一阡壱百弐
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2012年某月某日 某曜日 アップ日 2015年05月26日 火曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 美濃国は、奈良時代から製紙が盛んで、良質の紙を生産していた。 古くは702年(大宝2年)の正倉院文書に美濃の紙が記録されている。 平安時代には、朝廷から製紙用の役人が派遣されて、宣命紙等の色紙や公用紙を生産した。 鎌倉時代初期には美濃和紙は余り使用されていなかったが、南北朝の動乱や応仁の乱によって 利用者の懐事情が悪化した結果、安価な美濃和紙が使用されるようになった。 美濃国守護である土岐氏は富国強兵のため、産業開発を促進し、製紙業を後押しした。 そうして大量に生産された美濃和紙は文化人の多い土岐氏を慕って来訪した公家、僧侶によって 日本各地に伝播され、その後は京都宝滋院を拠点とする近江枝村の商人によって流通した。 江戸時代以降、長良川を利用した運輸により長良橋たもとの地域は長良川の重要な港町となり、 奥美濃から美濃和紙などの陸揚げが多く、それを扱う問屋町として栄えた。 良質な和紙「美濃和紙」を得た岐阜では、岐阜の工芸品である岐阜提灯、岐阜和傘、岐阜うちわが生まれた。 美濃和紙は岐阜の伝統工芸には欠くことのできない物である。 この問屋町は奇跡的に戦中の岐阜空襲を逃れることができたため現在川原町界隈として整備され、 鵜飼観光などで訪れた人々で賑わっている。 (Wikipediaより抜粋) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり、持ってるものはUPして 資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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