其の一阡壱百壱拾七
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2013年02月09日 土曜日 アップ日 2015年06月10日 水曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 明石原人 1931年(昭和6年)4月18日、兵庫県明石市の西八木海岸において民間人・直良信夫が、 古い人骨の一部(右寛骨〈う-かん-こつ〉:os coxae (right))を発見した。 しかし、直良がアマチュア考古学者[2]であったこともあり、専門家には相手にされないままであった。 鑑定のため東京帝国大学(現・東京大学)の松村瞭のもとへ送られ、 石膏模型を製作するなど予備的な研究はなされたが、最終的な結論が出されないまま返却され、 人骨を旧石器時代のものとする直良の主張は学界では認められることはなかった。 その後、直良は同地点で発見した動物化石や石器を元に旧石器文化の存在を主張し続けていたが、 腰骨については言及しなかった。 さらに、石膏模型を製作した松村の逝去もあって、学会でもこの腰骨は忘れられていった。 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲によって化石の現物は焼失した。 唯一残った石膏模型も忘れられ、東大人類学教室の陳列戸棚に放置されていたが、 1947年(昭和22年)11月6日に東大理学部人類学科教授の長谷部言人が写真を発見したことをきっかけに模型が再発見された。 長谷部は石膏模型を計測、壮年男性の腰骨だが現代人に比べて類人猿に近い特徴を有すると指摘し、 この人骨はシナントロプスやピテカントロプスとほぼ同時期の原人のものであると主張、 Niponanthropus akashiensis (ニポナントロプス・アカシエンシス)」の通称を与えた。 さらに長谷部は、この人骨をパラステゴドンの化石と同じ地層から発見したという直良の証言から、 この人骨はシナントロプスよりも古い人類のものであり、縄文時代以前に人類が日本列島に存在した証左だと結論づけた。 (Wikipediaより) 勝手に造酒屋応援団! (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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