其の一阡壱百壱拾八
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2013年02月09日 土曜日 アップ日 2015年06月10日 水曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 江戸時代、明石の西部地区の浜手は「灘」と呼ばれていました。 良い湧き水と播磨平野の良質の米に恵まれた灘では、 酒造りが必然のように盛んになり灘の酒として、 その名声を博しました。 ところが東(神戸・灘)が全国的に知られるようになったことから、 この地域を西灘と呼ぶようになったのです。 西灘で酒造りが始まったのは、江戸時代初期のこと。 土地の旧家だった卜部家の二代目卜部八兵衛のころからでした。 明治時代に入ると五代目ト部八右衛門の弟兵吉(右写真)は独立して自ら酒造業を営み、 事業を拡大。 明治21年に資本金3万円で江井ヶ嶋酒造株式会社を設立しました。 これが江井ヶ嶋酒造の始まりです。 商標は「日本魂」で、明治27年には「百合正宗」、翌年には「神鷹」を登録しました。 一升瓶酒が普及する前の容器といえば、樽と徳利が主流でした。 ご年配の方々にとっては幼少のころ、お使いに徳利を持って酒屋に行き、 樽の呑口(栓)を三本指で捻って量り売りをしてもらった思い出をお持ちの方もおられるのではないでしょうか。 当時は、無断で有名レッテルの徳利張りをつけて売る偽造品が多く、取り締まることも難しい時代でした。 そんな中、明治32年、江井ヶ嶋酒造は自社で製瓶工場をもち、 「日本魂」の一升瓶(1.8リットル)を他にさきがけて世に売り出しました。 この一升瓶は偽造品を未然に防ぐと共に、品質保持の面でも優れ、瞬く間に清酒業界のシンボルになりました。 清酒をはじめ焼酎やみりんのほかワイン、ウイスキー、ブランデーなどの洋酒部門にも積極的に取り組み、 最新の設備と卓越した技術で優れた商品づくりに励み、多くの名品を世に送り出しています。 (江井ヶ嶋酒造HPより) 勝手に造酒屋応援団! (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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