其の一阡壱百壱拾九
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2013年10月31日 木曜日 アップ日 2015年06月10日 水曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 本橋は城東貨物線の建設に伴い、1929年(昭和4年)に架橋された。 架橋当時より複線幅で建設されていたが、当面の輸送量にかんがみて、 下流側のみ線路が敷設され、単線で運行されている。 余った上流側のスペースは大阪市が借り受けて、市道扱いの赤川仮橋(あかがわかりばし)と 呼ばれる木造の歩道部分を設置し、2013年(平成25年)10月31日までの間、鉄道道路併用橋として使用されていた。 淀川橋梁は第二次世界大戦の戦火を耐え抜き、赤川仮橋は地域住民の生活道路となっていた。 この赤川仮橋からは、淀川に生息する野鳥やヨシが茂るワンドの様子が、河岸からとは別の角度から観察できるなど、 独特の景色を楽しむことができた。 また、21世紀に入ってから床部分に鉄板を敷く改修を行うなどしたことで、 地域住民から「歩きやすくなった」等と高評価を受けていた。 2018年(平成30年)予定のおおさか東線(北梅田 - 放出間)の開業に向けて、 本橋を含む城東貨物線は複線化されることとなった。 鉄道複線化に伴う歩道部分の閉鎖時期は2013年(平成25年)秋の予定とされていたが、 7月30日、大阪市は10月31日をもって閉鎖すると発表した。 地域住民から長らく愛されてきた、一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景は、 同日惜しまれつつその幕を閉じた。 複線化の工程は、歩道部分に新しい線路を敷設し、 現在線をこちらに切り替えてから従来の線路を再整備することになっている。 かつて計画されていた代替の人道橋の架設予定は大阪市の財政難などにより中止されたため、 閉鎖後は上流約930mの地点にある菅原城北大橋に迂回する必要がある。 橋脚の一部には第二次大戦中P51の機銃掃射よる弾痕の痕跡などが残されている。 他たもと付近にはB29の空襲による被弾によって発生したクレーターなどが池となった 通称爆弾池がワンドの一部となって残されている。 現在は蒼白色であるがかつては赤褐色だった。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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