古/いにしえの面影       其の一阡壱百弐拾九

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年12月某日 某曜日
アップ日  2015年06月30日 火曜日
京都府舞鶴市(市内雪景色Ⅲ平野町辺り)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
市の中部には、東部(東舞鶴)と西部(西舞鶴)を分ける五老岳があるため、市街地も東西で分かれて発展している。
東舞鶴はかつての軍需都市で、旧軍港や造船などを中心とする重工業地区であり、市役所も東舞鶴にある。
一方、西舞鶴はかつての城下町で、国や京都府の行政機関や工業団地が集中する商工業地区である。
このように同じ舞鶴市ながら違った顔を持っている。
西舞鶴の市街地のさらに西側に位置する由良川を境に、天橋立がある宮津市などと接している。
総面積が10,320haながら宅地面積は1,143haあり、山林面積は6,410haと山地が多く、森と海に囲まれている。
またオオミズナギドリの最後の楽園といわれる冠島がある。
市内をJR舞鶴線・小浜線、舞鶴若狭自動車道が横断し、市西部には京都丹後鉄道宮津線が西舞鶴駅から接続している。
東舞鶴駅と西舞鶴駅では駅前再開発が行われている。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

城址から西へ~

※サンモールマナイに戻って~

大手川
高野川に流れ込むこの大手川は、かつて田辺城の外堀として重要な防御の役割を果たすだけでなく、
この大手川に沿って職人町(現在の北田辺)と七軒(現在の南田辺七軒)にあった田辺藩の
武家屋敷に人や品物を運ぶ運河の役もしていました。
この場所から見える石橋は、江戸時代から唯一残る農人橋です。
この橋は引土の農家が農作物を町に売るのに使われていました。
(舞鶴百撰より)


※ 川に架かる石の小さな橋は
農人橋だそうで~
バックは愛宕山

審致舎:藩政時代の牧野氏の別邸。
この橋の東側にある西郵便局とNTTの場所に昭和十四年取り壊されるまでありました。
旧藩士の窮状を救う商社として明治四年旧藩主自ら資金を積んで設け、
今の銀行と消費組合を兼ねたほかに、鉄、綿、糸等を商っていました。
明治の鎮守府開庁後及び日露大戦前は国の重要人物の宿泊所でもあり
西郷従道、伊藤博文、東郷平八郎、山本権兵衛などが宿泊、会合し日露開戦の決意がなされました。
(昭和十四年地方新聞「丹州時報」より)
(舞鶴百撰より)


※この石橋は、江戸時代から唯一残る農人橋です。
この橋は引土の農家が農作物を町に売るのに使われていました。
(舞鶴百撰より)


どなたか一人
出てこられていますね~
(コノ後、私も渡りましたがね)

※石製の橋脚も~

たつやはし

※尚、西へ行けば
高野川(たかのがわ)に
人道橋が架かっています。

人道橋から下流方向~
前の資料館で見た街並み



上流方向~
堤防が少し高くなっています。
土蔵は見えない~



路地風景が~

※鏡遊び~

高野川と大手川合流地点

※農人橋

新大橋

※昔は、こちらが
中心商店街だったのでしょうか?
中央商店街

弁柄と雪のコントラストが
綺麗な旅館

※漆喰が残念なんですが~

ゲートでしょうかね?

※こちらは綺麗にされてます。

こちらが商店街?

※お風呂屋さん
前で待ってはります。
冷えた身体に、湯が噛み付くでしょうね。

お洒落な意匠
若の湯サン



旅館の玄関

※藤井とうふ店サン

擬宝珠付きの橋を渡って、
西へ~

※もう一度高野川を~
下流方向

上流方向
寺内方向へ~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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