古/いにしえの面影       其の一阡壱百五拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年03月14日 土曜日
アップ日  2015年09月16日 水曜日
大阪府大阪市西区靱本町(楠永大神)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
戦後、占領軍は戦前からの南北幹線道路である四つ橋筋 - あみだ池筋間において、
京町堀川(1955年埋立)と海部堀川に挟まれた細長い区域(当時の町名でいう靱北通と
靱上通の大半に相当)約3万坪を接収し、占領軍の常用飛行場として靱飛行場を置いた。
1952年の講和条約発効から2ヶ月後に飛行場敷地は大阪市へ返還され、
戦災復興土地区画整理事業によって1955年に靱公園が開園した。
また、同事業によって1959年になにわ筋が敷設され、公園を縦断するようになった。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

靱公園の中央、なにわ筋沿いに楠永神社があり、大きなクスノキが目立つ。
ここは古くからの神社でかつて海部堀川が横を流れており、靱市場の数少ない名残である。
クスノキは戦後、飛行場建設の際に伐採されようとしたが、けが人やブルドーザーの故障が相次いだ。
お祓いの際に神社の建物から白い蛇が出てきたことから
「この木は神木なので切ってはいけない」という話になり今に残っている。

(Wikipediaより)

※靱テニスセンター横です。
昔は銀杏の木が多く
銀杏の実を、子供たちと
拾いに来た思い出も~

かつての靱塩干魚市場の跡地にあたる。
海部堀川(1951年埋立)沿いの靱塩干魚市場は干物や
肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、
1931年の大阪市中央卸売市場の開場後に閉鎖され、
1945年の大阪大空襲で一帯は焼け野原となった。
(Wikipediaより)

※ 

永代浜跡
江戸期以来の
この辺りは昆布・塩干魚・鰹節など
海産物の市場として靭の中心をなしていた。
これらの商人が荷揚げの便を良くするために寛永期に海部堀川を開削し
阿波堀川とこの川をつなぐ永代堀の屈折点を永代浜と称し、
海産物の荷揚げ浜として賑わった。
(石碑より)

※靭海産物市場跡碑

昭和三二年銘
石灯籠



浪華百景
(大阪府立中之島図書館HPより)

※靭延命地蔵尊

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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