古/いにしえの面影       其の一阡壱百八

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年某月某日 某曜日
アップ日  2015年06月03日 水曜日
岐阜県高山市城山(日枝神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

1141年(永治元年)、飛騨国国司で三仏寺城(現在の高山市三福寺町に存在した飛騨国最古の城)城主である
飛騨守平時輔が、近江国日吉神社を勧請し、三仏寺城の近くに創建した。
言い伝えによれば、平時輔が狩りを行なっていたところ、一匹の老狼を見つける。
これを仕留めようと矢を射たが獲物は見当たらず、矢は大杉に深くつき立っていたという。
平時輔は「大山咋神が、お使いである老狼を救われたものであろう」と神の力を感じ、
鎮護神として近江国より日吉大神を勧請し、
日枝神社としたという。この時の大杉が、日枝神社の大杉という。
1181年(養和元年)、源義仲により三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失した。御神体は無事であり、
片野村杉ヶ平(現、高山市片野町杉ヶ丘)に移され、片野村の産土神として祀られた。
1586年(天正13年)、金森長近が飛騨国に入り、高山城に入城した。
1605年(慶長10年)、日枝神社を高山城の鎮護神とし、現在地へ移転した。
1692年(元禄5年)に飛騨国が天領となり高山城が廃城となった後も、高山陣屋(飛騨郡代)の鎮護神とされた。
このころ、「両部習合神道」「山王一実神道」を以って松樹院が設けられ、山王権現宮と呼ばれた。
飛騨国分寺との関係をもっていたという。1748年(寛延元年)、本殿が再建された。
この本殿は現在移築修復され、末社の富士神社社殿として使用されている。1826年(文政9年)、真言宗仁和寺末となる。
1869年(明治2年)、神仏分離により日枝神社に改称する。
1935年(昭和10年)、豪雨で裏山が崩れて本殿が倒壊した。現在の本殿は1938年(昭和13年)再建である。
(Wikipediaより)
 
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

丸ポストも
街の一齣に~

※風情のある格子の長屋
梯子も格子の一部のように~

和合神社さん

匠格子(千鳥格子)だそうで~

※互い違いに~
職人のニヤリが見えそう~

現存する2・3の物の内で
この地方最大のものだとか~



日枝神社さん参道~



昭和期ですが~
怪獣のような狛犬



肉感的ですが~

※尻尾は
なにわ型変形

還暦祝い
石工 高原忠次郎さん

※参道
多くの奉納石灯籠

お祓い場所?



日枝神社神輿2基在るのですね。

※神輿庫

手水舎

※大杉に挟まれた
雪除け屋根付き
拝殿社

この階段を登れない方用
賽銭箱
つまり遥拝所??
扁額は日吉宮ですね。

※見事な杉です。

雪除け屋根付き
拝殿社

※手水鉢

県指定天然記念物
だそうで~

※推定1000年とか

天然記念物碑

※富士社 -- 富士神社(祭神 木花之佐久夜毘売命)・
金刀比羅神社(祭神 大物主命・崇徳天皇)・恵比須神社(祭神 八重事代主神)を合祭する。
社殿は1748年(寛延元年)に再建された日枝神社の旧本殿で、1935年(昭和10年)破損したが、
破損箇所を修理して富士社社殿として移築した。
「富士社社殿 附棟札」として市指定文化財となっている。
(Wikipediaより)


少し本殿舎が~

※境内摂社

天満神社



稲荷社

※摂社


絵馬も~

※杉の木立の参道

和合橋

※水辺の風景
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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