古/いにしえの面影       其の一阡壱百壱拾二

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年某月某日 某曜日
アップ日  2015年06月05日 金曜日
岐阜県高山市桜町(桜山八幡宮)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

桜山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)(正字は櫻山八幡宮)は、岐阜県高山市にある神社である。
秋の例祭は、春の日枝神社の例祭とともに高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
八幡大神(応神天皇)を主祭神とし、相殿に熱田大神(日本武尊命)・香椎大神(仲哀天皇・神功皇后)を祀る。
仁徳天皇65年、飛騨国に二つの顔を持つ宿儺(すくな)という賊が現れ、
それを討伐するために派遣された難波根子武振熊命が戦勝祈願のために先代の応神天皇を祀ったのに始まると伝える。
また、聖武天皇が諸国に設けた護国八幡だという説もある。
江戸時代に金森氏が当地の領主となったとき氏神として当社を保護し、
宮川以北の住民を氏子とした。
明治時代に八幡神社に改称し、大正時代に県社になる。桜山八幡宮の名は戦後からという。
(Wikipediaより)
 
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

右は宮川に架かる不動橋
真ん中は一の鳥居
左が参道

※此処にも秋葉社
 桜山八幡宮に続く広い参道
高山祭り(10/09,10)には祭りの主役的な
屋台が11台集まるとか~

※鳳凰台組秋葉社
屋台一台毎を維持管理するのが
屋台組と呼ばれる町内組織とか。
遠州秋葉山本宮より勧請したとか。

後ろは北山公園
門前町状態

※参道~

スズメバチの巣
看板に成るような大きさ!

※長屋門的~



※二の鳥居潜って~

櫻山八幡宮
正面より

※高山祭の実物屋台を常設展示している施設は、高山祭屋台会館だけです。当館で高山祭をご覧ください。
一般に高山祭といわれるのは、春(4月14日、15日)と秋(10月9日、10日)の年二回あるように思われがちですが、
春と秋では、お祭を行う神社も地域も屋台も全く違います。春は日枝神社、秋は桜山八幡宮の例祭です。
古くから飛騨の国は、大和朝廷ヘ、税のかわりに匠(たくみ)を毎年送り出しました。
選ばれて都ヘ出た匠たち(毎年100人~130人)は、奈良の都の宮殿や、お寺の建築に従事してその腕をふるいました。
匠が都ヘ送られた期間はおよそ600年、延べにして7、8万人の飛騨人が一年間都で働いたことになります。
この人たちを総じて「飛騨の匠」と呼んでいます。
飛騨の国には、今もこの匠たちの長い伝統と、培われた技術が脈々とうけつがれていますが、
中でも江戸時代後期に、大輪の牡丹のように花開いたのが高山祭の屋台(国指定重要有形文化財)です。
高山祭屋台会館へお越しくだされば、いつでも本物の祭屋台をご覧になれます。
(高山祭屋台会館HPより)

参道脇道も好きですねん。

皇紀二六〇〇年銘
狛犬





※吽
時代ですかね~
勇ましい顔つき(アニメ風も~)

八幡フォントではない~
1

※青銅の扁額
亨保期に代官長谷川氏により
奉納された。
文字は佐々木文山 筆

流石に八幡フォント(鳩文字)ではない。

奉納馬

絵馬堂
此処も積雪のためか
鉄葺

※真新しい絵馬がお出迎え

明治期の絵馬

※昭和31年の龍の絵馬

明治9年の絵馬は~無残に…
櫻に鳥(鳩?)

※昭和期が多いです。

こちらも昭和期



アニメっぽい武者絵も

※やはり60年近く外気に晒されたら
剥離しますかね。。




本殿への階段は急です。

※奉納絵馬

大石段

※長さ3.3mの19段階段が全て1枚石とか~

立派な手水舎

※大手水鉢
明治10年銘

立派な境内風景

※桜紋

末社
照前神社

※末社
天満神社

末社
稲荷神社



稲荷社正面

※八幡大杉在遺跡
(ググっても判らない~)

拝殿社正面

※3之鳥居から
参道望む

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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