古/いにしえの面影       其の一阡壱百壱拾一

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年某月某日 某曜日
アップ日  2015年06月05日 金曜日
岐阜県高山市三町(町並保存区域)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

三町(さんまち)は岐阜県高山市の伝統的建造物群保存地区の名称。
上三之町、上二之町、上一之町、片原町、神明町4丁目に跨る東西約150m、南北約420mの区域。
通称として平仮名でさんまち通りと表記されることが多い。
高山市の中心部、宮川の東側に位置する。江戸時代、金森長近が整備した城下町の商家町にあたる区域である。
高山は元禄5年(1692年)幕府直轄領となり、高山城は加賀藩主前田綱紀の預かりとなった後、破却された。
以後、旧城下町は町人地となり、飛騨地方の商業の中心地として栄えた。
伝統的建造物群保存地区は宮川に並行して南北に延びる上三之町・上二之町の通りを中心に、
東の上一之町、西の片原町、南の神明町4丁目にまたがっている。
地区内には江戸時代後期から明治時代にかけての和風建築が数多く残されている。
1973年(昭和48年)と1974年(昭和49年)の奈良国立文化財研究所の調査を経て、
1979年(昭和54年)に高山市三町伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
1997年(平成9年)には、選定区域が拡大され、片原町南部、上二之町南部、神明町4丁目の一部が追加選定された。
(Wikipediaより)
 
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

多分、地元の方より
観光客が多かったような~

※土産物屋さんが多い~

軒の低い家屋群

※ユックリ見たいのですが~

犬避~

※角家は新しい~

麹屋さん

雪が積もれば大変でしょうね~

※この道路の狭さがいいですね。

軒下木製灯篭


藤井美術民芸之館

かぎづる
お蕎麦屋さん?

※土蔵を改造して~

此処も駐車場と新築の間で
頑張っています。
長屋だったのでしょうね。



積雪の関係か
路地に軒が被さって~
エエ空間です。

※残って欲しいですね~

田舎味噌

※格子は綺麗です。

高山祭屋台会
神馬台庫

※灯籠型

この地のスタンダード的家屋

※江名子川
町会兼ねています。

大新町の日下部民藝館
重厚な佇まい~

※谷屋九兵衛宅
天領時代、日下部家は幕府の御用商人として栄えた商家で、役所の御用金を用立てする掛屋や両替屋を営みました。
当時の邸宅焼失後の明治12年、大工・川尻治助が飛騨の匠の技を集め、
江戸時代の建築様式そのままの見事な住宅を造り上げたのが現在の日下部家で、
昭和41年に国の重要文化財に指定されて以降、民芸館として一般公開されています。
(ぎふの旅ガイドHPより)


軒の低さは無い~
材料も吟味され~

※脇に杉玉
造り酒屋さん?
重要文化財 吉島家住宅

名工西田伊三郎作
明治40年竣工
江戸期の幕府の禁制は無く
江戸期の豪商の夢が詰め込まれた町家だとか。
チャールズ・ムーア(現代米国建築界の巨匠)が
京都の苔寺と共に建築で絶賛したとか。



見れば見るほど
重厚さに惹かれます。

※向かいの
畳屋さんも気に成ります。

火垣
板塀の右側上部にある袖壁は
防火用の塗塀。
日下部住宅にも奥まった所に見られる。
卯建に似てますよね。

※正面から

斜めから~

※エエ建物は、此の地区に
固まって存在します。

この地方の
商家の佇まい

※確かに
卯建は見られないですね。
庭などが有り
緩衝空間があるからでしょうかね?

昔の路地は
空間を有効に使われたんでしょうね。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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