古/いにしえの面影       其の一阡壱百壱拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年某月某日 某曜日
アップ日  2015年06月04日 木曜日
岐阜県高山市西町~八軒町(高山陣屋)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

高山陣屋(たかやまじんや)は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所(陣屋)。
現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。
現存建物表門・門番所、一~四番蔵・九~十二番蔵、書物蔵。
郡代役所は玄関・吟味所・御役所・大広間などの部分に1816年(文化13年)に改築。
敷地内の土蔵は、元々慶長年間(1600年前後)に高山城内に建設され、1695年(元禄8年)に現在地に移築されたものである。
建物の屋根は熨斗葺(のしぶき)、柿葺(こけらぶき)、石置長榑葺(いしおきながくれぶき)など、いずれも板で葺かれている。
これは飛騨が雪国であるとともに木材の生産地であり、当時の瓦では雪で容易に損耗してしまうのに対して、
木材は入手が容易であったためとされている。

敷地と建物内は有料で一般公開され、内部には江戸時代の歴史資料などが展示されている。
表門の手前では毎日朝市が催されており、高山市内においては宮川朝市と並び陣屋朝市として親しまれている。
元来は飛騨高山藩主であった金森氏の所有する下屋敷だったが、1692年(元禄5年)に
幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備され、代官所として用いられるようになった。
1777年(安永6年)以降は郡代役所となった。

明治維新後は筑摩県高山出張所(のち岐阜県高山支庁)庁舎として用いられた。
1929年には国の史跡に指定されたが、その後も様々な公共機関の事務所として利用された。
1969年まで県事務所として利用されていたが県事務所が移転後、現存する唯一の陣屋であることから文化財として保存する方針が示された。
1996年(平成8年)3月、1830年(天保元年)の絵図を基に約20億円を掛けて蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などが、
ほぼ江戸時代の状態にまで復元された。
(Wikipediaより)
 
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

上川原町公民館
前は公園

※軒の高さは蔵も家屋も合していました。

古い家屋は本瓦ではないので
重厚さは無いのですが~
格子窓や梁に飛騨の面目躍如

※少し時代の新しい家屋は
桟瓦が使われています。
二階部分も背が高いのです。

宮川を渡る橋も~

※新旧家屋
交互に~

秋葉神社さん

看板によれば
一本松の空き地だそうで~

※此処から北方面(枡形橋近く)までに
馬場が在ったそうです。

一本松
此処にも鎮火の神様
秋葉社が祀られていたとか。

※左側の家屋は
馬場跡に建てられています。

馬場跡から
河原に抜ける路地

※昔の絵図と現在の地図との見比べ
エエ資料ですね。

馬場の景色を思いながら~

※角家に会所跡

銅鉛貫目改会所跡
高山銀絞吹所

幕府の直轄地である飛騨は、財政を高めるため鉱山開発に力を入れ
、安政2年(1855)陣屋元に仮銀絞吹所を設置した。
所在地である空町馬場通りの地名を取って馬場吹所といった。
(バーチャル・ミュージーアムHPより)


お隣の本教寺さん
馬場の前にあったんですね。

※鐘楼

真は道の元
功徳の母なり

※銘菓さわくるみ
こま屋さん

金亀館のお弁当
駅弁直売所
帰りに駅で買いますわ!

※空き地と新築の間に
残っています。

格子が綺麗ですね。
日常の一齣

※日枝神社御旅所

 
千鳥格子では無い。。

※陣屋近くに
人馬問屋跡
江戸期には運搬の要ですよね。

秋葉社祠
この辺りは、夜景で来ましたね。

※陣屋跡

御門も御役所も板葺家屋だったのでしょうね。
へぇ~昔の瓦は雪で壊れやすかった…
納得!

※かつて飛騨の村々に1000挺余りの鉄砲が在った~
領内の村々に貸し出した
へぇ~


蔵番長屋の出格子

陣屋跡絵図

番小屋でしょうか?

※案内板

山岡鉄舟像
(鐵舟、やまおか てっしゅう)は、幕末から明治時代の
幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。
鉄舟は号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎、てつたろう)。諱は高歩(たかゆき)。
一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」のひとり。栄典は従三位勲二等子爵。
江戸に生まれる。家が武芸を重んじる家だったため、幼少から神陰流、樫原流槍術、
北辰一刀流を学び、武術に天賦の才能を示す。
浅利義明(中西派一刀流)門下の剣客。明治維新後、一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖となる。
幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。
江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、
官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会する。
明治政府では、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任した。
勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。
身長6尺2寸(188センチ)、体重28貫(105キロ)と大柄な体格であった。
(Wikipediaより)

※題名 青雲

父(小野朝右衛門)の飛騨郡代に付いて
高山陣屋へ入ったとか~
書は高山の書家
岩佐一亭に習った。

※中橋

書状箱

※重要伝統的建築群保存地区の街並み保護用の
民間の意見採用の
日本最古のポストを模した形とか。

飛騨の匠
韓 志和(木鶴大明神)像
平安期に活躍した
彫刻の名手で
自作の木鶴に乗って唐土へ渡り
皇帝に入神の妙技を見せたとか。

※中橋近く

中橋親柱

※高札場跡碑

高札場
前には~
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※大正期の献灯

 中橋
昼間風景



宮川下流側

※中橋湯さん

宮川上流方向

※宮川を中橋で渡って~
雪が降ってきました。

中橋碑

愛宕社
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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