古/いにしえの面影       其の一阡壱百参拾弐

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年12月某日 某曜日
アップ日  2015年07月01日 水曜日
京都府舞鶴市(市内雪景色Ⅵ舞鶴漁港)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
西舞鶴(にしまいづる)は、現在の舞鶴市の西半分。
1936年8月1日に舞鶴町が四所村、高野村、池内村、余内村、中筋村を編入,翌翌1938年8月1日に市制を施行し、
1943年5月27日に東舞鶴市と合併するまでの舞鶴市に相当し、旧舞鶴市とも呼ばれる。
愛宕山を望む田辺城(舞鶴城)の城下町である旧舞鶴市区域に、
由良川川筋の加佐地区を合わせた舞鶴市の西半分を指す場合もある。
東舞鶴とは異なり、江戸時代は田辺藩の城下町として舞鶴港や伊佐津川を中心に発展し、
また近代は商業都市として発展した。
かつては加佐郡の中心地であり、郡役所が置かれていた。旧田辺城の近辺には由緒ある社寺が多く残る。
現在では、裁判所など国や京都府の出先機関が数多く立地しており、
2005年(平成17年)4月に舞鶴東警察署と舞鶴西警察署が統合した舞鶴警察署、
舞鶴海洋気象台および第八管区海上保安本部がある。

また、倉谷工業団地には資生堂やキリンビバレッジなどの企業も操業中であり、
現在は喜多工業団地への企業誘致に積極的に取り組んでいる。
なお五老岳にある五老スカイタワーからは西舞鶴の街並みを展望することができる。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

宿舎から~
朝の市内俯瞰図
昨夜来の雪も止んで
屋根は白粉化粧状態
2車線道路は国道27号

※五老岳も薄っすらと~

昨日散ポタした
愛宕山山裾方面

※JR西舞鶴駅
ラッピングされた箱のよう~

北近畿タンゴ鉄道も
雪の綿帽子被って~

※北側の槙山方面
雪景色

漁港まで打ち合わせ

※あれれ~地元の方でも
スリップ事故が…

相生橋渡って~

※第一埠頭のガントリークレーンが~
キリンのようで私は大好きです!

大和橋ですって~

※バックは愛宕山

書割のような川港風景~
前には
雪景色の似合う
日本海側に多いのでしょうか?

※白銀の峰
綺麗ですね。

水無月神社

※六月の別名を水無月と言います。
陰暦六月三十日は「名越し(夏越し)大祓え」といって、茅の輪をくぐったり、
人形(ひとがた)を川に流したりして半年の汚れを清めます。
吉原の漁民は、昔、竹屋の川尻に住んでいましたが、享保十二年(一七二八年)の大火により
今のところに移住させられました。
ヨシの生い茂る低湿地のため、悪疫の流行が絶えず、厄払いのためには、
「川下に水無月神社(祭神は月夜見命・・つきよみのみこと)をまつって、名 越しの祓いをしたらよい」ということから、
寛保三年(一七四三年)に創 したのがこの水無月神社です。
境内の午頭天王社も、寛政十年(一七九八年)にまつった
疫病や災難よけの神( 祭神は健速須佐男命…たけはやすさのおのみこと)です。
「なるかならぬか水無月さまよかけた願いが今日とける」舞鶴小唄にも歌われたお宮。
七月中旬には夜祭りで賑わいます。
(舞鶴百撰より)


自動車移動だったので
自転車で再来したいものです。



漁港到着

※雪の薄化粧

港は静まり返って~

※刹那なメッセージ…

丹後富士(建部山)315.5m
ランドマーク的

※岸壁な真っ白

丹後槙山が正面

※西吉原の屋根も~

何処まで漁に行くのでしょうかね?

※雪と風の芸術ですね。

漁港で養殖箱を清掃されていました。

※タイラギ殻

丹後富士(建部山)315.5m
バックに調査船が~

※セグロセキレイは
水浴びしてました。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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