古/いにしえの面影       其の一阡壱百参拾参

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年12月某日 某曜日
アップ日  2015年07月01日 水曜日
京都府舞鶴市(市内雪景色Ⅶ舞鶴港)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
東舞鶴は、一般に、与保呂、八島、北吸などの東半分の地域を指し、舞鶴市役所が置かれている。
また、城下町として栄えた西舞鶴と違い、1901年に舞鶴鎮守府が設置され、軍港として発展した。
その際、現在の東舞鶴駅前にあたる浜地区は、京都市に倣って碁盤目の道路網を形成している。

産業面では舞鶴港があり、舞鶴の総工業出荷額の約20%を占めるといわれるジャパン マリンユナイテッド、
舞鶴・平工業団地には日本板硝子などの企業も多く立地している。
また、旧日本海軍が整備した与保呂川水源は今も東舞鶴の水源地として多くの市民の飲み水となっている。

東舞鶴市は、1938年(昭和13年)8月1日に新舞鶴町、中舞鶴町、志楽村、倉梯村、与保呂村が合併して市制を施行し、
1942年8月1日には東大浦村、西大浦村、朝来村を編入した。
だが、太平洋戦争の拡大により東西舞鶴に軍需施設が点在するようになり、「軍都の一括管理」の名目のもと、
海軍によって合併を要請され、1943年5月27日には(旧)舞鶴市(西舞鶴)と対等合併し、新たに舞鶴市が設置されて消滅した。

しかし、東舞鶴は明治時代からの軍港から急速に発展した都市にあるのに対して、
西舞鶴は戦国時代からの城下町から発展した都市であったため、住民感情に大きな相違があった。
そのため、1950年(昭和25年)には住民投票で舞鶴市を再び東西に分割する案が成立するが、
京都府議会によって否決されて終った。

そのわだかまりは今でも残っているとされ、現在においても市長選挙や府議会議員選挙などにおいて、
東と西の対立は否めないものがあるといわれる。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

東舞鶴から
丹後街道(国道27号)を
西向いて~

※海上自衛隊の幹線を横目に~

大きな護衛艦



イベントで開放も有るそうで~

※赤レンガ横を~

赤れんがイベントホールが見えてきました。



ユックリ来たいですね。。



新日本海フェリーターミナルにて…
北海道への特装車の回送だそうで~
今なら頑張ってるんでしょうね。。

※フェリーが接岸する
クッション

フェリーを待つ車両達



行きたいなぁ~

※あの橋は前にも

舞鶴湾の奥の奥~

※北へ向かうコンテナ達…
五老岳(301m)が微笑んで~

クレーン車?
台船に乗ってますね~

※コンテナ車の向こうには~
自衛隊基地
前には東で~

行きたいなぁ~行きたいなぁ~

※お仕事です…

基地風景~









レンガ倉庫



国道沿いの倉庫群~



夕方には再凍結の恐れが~
R27
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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