古/いにしえの面影       其の一阡壱百四拾四

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年03月04日 日曜日
アップ日  2015年09月03日 木曜日
大阪府大阪市天王寺区玉造本町(RCO七福神巡りⅠ)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
◎恵比寿(今宮戎神社 神道 大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-10)
イザナミ・イザナギの間に生まれた子供を祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神である。
時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となった。唯一日本由来の神である。
◎大黒天(大国主神社(敷津松之宮境内)神道 大阪府大阪市浪速区敷津西1-2-12
インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主命の習合。
大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。
◎毘沙門天(大乗坊 高野山真言宗 大阪府大阪市浪速区日本橋3-6-13)
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。戦いの神であったが、仏教に取り入れられてから、
福徳増進の神としてしだいに民衆に信仰される。日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。
◎弁才天(弁財天)(法案寺 浄土宗 大阪府大阪市中央区島之内2-10-14)
七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ、
音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり選ばれた。
七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。
◎福禄寿(長久寺 日蓮宗 大阪府大阪市中央区谷町8-2-49)
道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人。
寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらす。
◎寿老人(三光神社 神道 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90)
道教の神で南極星の化身の南極老人。
日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもある。
◎布袋(四天王寺布袋堂 和宗 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18)
唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。
その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身ともいわれている。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

明治41年の地図にも乗ってます
桜ノ宮線馬の口踏切~
梅の香に
暖かき雨
花粉飛ぶ

此の日の相棒はBSA(1940年台製)

※始まったみたいですね~
嫁はんの鼻がグズグズ言い出しました。。
前には

暗越奈良街道脇の交番

※残して欲しいですね。

日之出商店街

※JR環状線(旧城東線・省線)
高架

橋脚に有るコンクリ紋章~

※玉造駅に集合
RCO面々

日曜日のたびに雨…
雨なので歩きポタ

※アパート

綺麗に残されています。

※今も現役でしょうか?

キョロキョロと
路地に眼が行きます。

三光神社さん
三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神社である。
天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀る。
反正天皇の時代の創建と伝えられる。
創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し、現在は86代目と伝える。
社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、
宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。
かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていた。
中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の
三光宮(現 青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になった。
明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになる。
明治41年(1908年)、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。
3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」ともいう。
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、
大坂の陣のときには真田幸村が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったという。
社殿の下に残っているが、これは後世作られたものである。境内には黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像がある。
(Wikipediaより)




RCOサイクリングクラブの割に私とネズミ君だけが自転車同伴。
真田山三光神社「寿老人」(富貴長寿)

※赤揃えの六文銭甲冑~


平成10年銘

※子狐の隠れ貌なる
野菊哉 蕪村
(摂津名所図会大成巻之3より)

真田丸の戦い(さなだまるのたたかい)は、徳川氏に率いられた江戸幕府軍と、
豊臣家との間で戦われた大坂の陣のうち、1614年(慶長19年)末に発生した大坂冬の陣における戦いの一つ。
一般に、呼称の示すとおり真田丸のみで戦闘が起こったように思われているが、
実際は大坂城南側全面に渡って戦闘が発生している。


※まださん
一席落語でも~

旧真田山陸軍墓地
前にも

※各々の方たちは
故郷にも、お墓は有るんでしょうか?

この日も読経の声は響いてました。

※上官の墓地は立派に…

 大勢の行軍に見えます。。
やはり戦争反対ですわ!

※ねぇ~当日参加のBSA
バーミンガムスモールアームズ
武器製造会社ですがね…

少佐の墓もこの大きさ。。
唖然と~

※楠も墓標の傘に…

当日、サイクリングクラブの割に
私とネズミ君だけが自転車同伴。

※格子戸は大好きです!

興徳寺さん
菜の花が咲き乱れて~

※ハイポーズ!

明星学園横を~

※心眼寺さん
真田丸跡碑も

興徳寺さん
千手観音像

善福寺さん
お弓、おつる像
傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)
徳島藩のお家騒動に絡んで、阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は主君の盗まれた刀を
詮議するため大阪玉造に盗賊銀十郎と名を変え住んでいる。
そこへ巡礼姿の娘お鶴がはるばる徳島から父母を尋ねて来る。
お弓は我が子と分かるが、そこで親子の名乗りをしたのでは、我が子にどんな災いが来るとも限らない。
お弓は涙を飲んで別れる。名残惜しげに見送るのだが、ここで別れては今度いつ会えるか分からぬと追いかける。
ここまでが順礼歌の段。十郎兵衛住家の段では、お弓と別れたあと、十郎兵衛はお鶴と出会う。
我が娘とは知らない十郎兵衛は、金欲しさに我が子に手をかけ殺してしまう。
明和五年六月大阪竹本座で初演された。近松半二、竹田文吉らの合作といわれる。
(阿波人形浄瑠璃の世界HPより一部抜粋)


※梅が咲き出しました。

不動尊・地蔵尊が合祀され~

※どんどろ大師
大阪夏の陣の戦死者を弔うために建てられたお寺で、
今も毎月21日の縁日には多くの人がお参りに訪れます。
「どんどろ」というのは、天保のころ、
大阪城代で弘法大師への信仰の厚かった土井殿(どいどの)が
なまってそう呼ばれるようになったと言われています。
(播州歌舞伎ファンクラブHP一部抜粋)


文化住宅

※今も現役でしょうか?
御洒落しましょう!

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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