其の一阡壱百四拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2013年11月10日 日曜日 アップ日 2015年09月03日 木曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 神戸市は、明治初期まで使われた律令制では、畿内(かつての首都圏)の西の境に位置し、 現在の須磨区と垂水区を境に東は五畿内の摂津国、西は播磨国であった。 神戸港の前身となる沿岸地域は京・大坂の外港・経由地として栄え「兵庫津」と呼ばれた。 遣隋使の時代には、既に港は開かれていたが、平清盛により経が島の近くに都である福原京が計画された前後に 貿易の拠点として整備され大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれたことがその発展の始まりとされる。 江戸時代に、西宮宿(現在の西宮市)と大蔵谷宿(同明石市)とをつなぐ宿場として兵庫津が存在した。 兵庫津は自治組織として港町として扱われた浜方と、宿場町を司る岡方とが存在した。 本陣は浜方と岡方の双方に存在したが、江戸時代中期以降は浜方の本陣の利用を希望する大名家が漸増した。 条約による1868年の兵庫開港の際、神戸村が事実上の開港場となり、外国人居留地や港が造られ、 1879年に勅令により「神戸港」となる。その後、日清戦争・第一次世界大戦を経て 上海・香港・シンガポールをしのぐ規模となり、1990年代初期までの間、東洋最大の港として発展を続けた。 一方、港と共に造船・鉄鋼・機械を中心とした工業も発達し、 阪神工業地帯の中核を担う日本有数の重工業都市に成長する。 県名の由来にもなっている「兵庫」と神戸とは元来別々の町村であったが、 市域の拡大によって一つの都市としてまとまっていった。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) 御洒落しましょう!
やはり、持ってるものはUPして 資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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