ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
御座とは「爪切不動尊のいらっしゃるところ」の意味であると考えられる。
また爪切不動尊の祭事を司る役人が5人であったことから五座→御座となった、
爪切不動尊の縁日に出店する座の権利が5つあったことから五座→御座となったとの説も提示されている。
縄文時代や弥生時代の遺跡が各地で発見され、地蔵遺跡からはシカの角でできた小刀や刀装が出土している。
『神宮雑例集』には、「胡座」として記録が残る。
ただし、これ以外に「胡座」に関する記述は残っておらず、詳しいことは分からない。
文和4年8月(ユリウス暦:1355年9月)の『二見御厨村主末継言上書』には「御坐清厚氏女」の字が見える。
「城山」と呼ばれる地域には御座源四郎が居城を構えていたと伝わる。
江戸時代には御座村として志摩国英虞郡鵜方組に属し、鳥羽藩の配下にあった。
村高は185石余だった。
初鰹と鯛を献上していたほか、代銀を受け取って鰹節やエビ、サザエなども納めていた。
廻船や御城米積船の破損時の救助の任を負い、鳥羽藩主の内藤忠政が参勤交代する際に船を出していた。
当時のキリシタンの制札が残されている。
(Wikipediaより)
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