古/いにしえの面影       其の一阡壱百六拾弐

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2015年01月14日 水曜日
アップ日  2015年12月05日 金曜日
奈良県磯城郡田原本町坂手北(千代・八坂神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
環濠集落(かんごうしゅうらく)とは、周囲に堀をめぐらせた集落(ムラ)のこと。
水稲農耕とともに大陸からもたらされた新しい集落の境界施設と考えられている。
水堀をめぐらせた場合に環濠と書き、空堀をめぐらせた場合に環壕と書いて区別することがある。
「環濠」と「環壕」のルーツはそれぞれ、長江中流域と南モンゴル(興隆窪文化)であると考えられており、
日本列島では、弥生時代と中世にかけて各地で作られた。
環濠集落には、防御と拠点という特色がみられる。
弥生時代後期では北部北九州では佐賀県吉野ヶ里遺跡や大阪府の安満遺跡や池上・曽根遺跡、
奈良県の唐古・鍵遺跡などの大規模環濠集落が挙げられる。
低地に作られ、通常は堀の外側に掘った土を盛った土塁がある(対照的に、中世の土塁は堀の内側にある)。
ムラの内部と外部を区別する環濠を形成する目的として、外敵や獣などから集落を守る防御機能を備えることが考えられている。
堀は二重・三重の多重環濠となることもあり、長大な環濠帯を形成しているものもある。
水稲農耕に必要な首長権力や、共同体の結束強化、内部と外部での階級差を反映しているとも考えられている。
また、水堀の場合には排水の機能をもたせることができる。

(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

大和棟が国道からでも
目に付きます。

※北側には
暗渠河川があります。
2t車以上は通行禁止!

当て曲げが有ります。

※集落中のメイン道路

大和棟には鯱が乗っていました。

※戎様も~

木目が綺麗な屋門

※お正月の時期
注連縄が綺麗に飾られて…

見返って~

※煙抜き家屋が~

 実相院阿弥陀寺さん
脇に常夜灯灯籠が~

※地蔵堂が~

地蔵堂正面

※脇に多宝塔が祀られています。

扁額には八坂神社サン

※村社千代八坂神社碑

ミトン手袋のような
手水鉢

※遥拝所
大神神社でしょうか?

古代から下ッ道や保津坂手道の要衝地であった。
古代・中世初めには役所的な遺構が存在し、
中世には桧物(ひもの)を売るサカテ座が知られる程の商業地だったとか。
(看板より)

※坂手北の明神講・弓の華鎮(けいちん・結鎮)
華鎮は、「ハナシズメ」とも読み、風雨の荒れる事無く世の安定を願う行事で
この様な正月行事は奈良県には行く例かあり、又、矢を射る行事は昔、田原本八条や
昭和10年代には桜井市・小夫の御田植祭りでも行われていたが、現在では
非常に貴重な祭禮行事だとか。


幣帛を奈良より出でて水蓼穂積に至り鳥網張る
坂手を過ぎ石走る甘南備山に朝宮に仕え奉りて
吉野へと入り坐す見れば古思ほゆ
万葉集

拝殿社は寺院のような~

※本殿社



※南方向千代に至る道
両側に門柱のような~

南側河川の水門?
二本の溝が掘って有りました。

※寺川に注ぐ井路が~
水との拘り

二本の井路を挟んで 堤防状態



特徴的な大きな木(バオバブのような~榎?)

※寺川方面には水門

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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