古/いにしえの面影       其の一阡壱百六拾七

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2015年09月30日 水曜日
アップ日  2015年12月10日 木曜日
奈良県磯城郡田原本町黒田(孝霊神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
法隆寺街道(ほうりゅうじかいどう)は、奈良県生駒郡斑鳩町から橿原市に至る街道。
古代では「筋違道」(すじかいみち)と呼ばれた古代官道のひとつであった。
筋違道
7世紀中頃に、奈良盆地を東西・南北にまっすぐ通る大道が整備されたが、
例外的に古い地割に則って斜めに通る道筋が整備された道があった。
法隆寺と飛鳥宮を直接まっすぐに結ぶ道として(北北西-南南東方向・南北から約20度)傾いて設置された。
当時、聖徳太子が行き来したとされており、後に「太子道」とも呼ばれるようになった。
他の東西南北に通る大道が飛鳥時代後期に計画に基づいて設置されたとされるのに対し、
筋違道は沿線上に弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が多数見つかっていることなどから、
そのころには部分的ではあるが既に成立しており、
飛鳥時代に他の大道と共に延長・整備し直したと考えられている。
法隆寺街道
多の例に漏れず、平安京への遷都後は衰退して官道としては維持されなくなった。
中世以降は「法隆寺街道」と呼ばれるようになり、道幅は狭くなり、直線道路ではなくなったが、
現在も北は斑鳩町高安あたりから中街道と合流する橿原市新ノ口付近までの約13.5kmが
道路や畦道として残っている。
今も川西町結崎から近鉄黒田駅付近を経て田原本町宮古までの一部区間、
約3kmほどが斜めにまっすぐ通る道路としてはっきり残っている。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

コスモス咲いて~
秋は大和路が最高の時期です。

※太子道だそうで~
左から手前が昔の官道です。

芙蓉も秋空に手を伸ばして~

※昔からの人の営み~
見所満載!

灯り祭りが鏡作神社で行われるそうです~
10月24日
スマート国勢調査も…

※南方向~
杜が呼んでいます。。

往時の佇まいが~

※先には国道24号バイパスの壁が~
太子もビックリするでしょうね!

孝霊神社(別名:廬戸神社)
桃太郎伝説の地とか~
犬猿雉も居たのでしょうね。
鬼は??

※一段高くなっています。

拝殿社

※元々法楽寺境内に氏神として祀られていたが~
明治2年に、現在の位置に遷座したとか~
田原本町観光協会さん
感謝です!

百度石

※境内の石標の根元に残る
小さな穴を弄くって盃状穴にしたんでしょうか?

新しい狛犬
岡崎型


※吽

手水鉢

※うん~
鯛ですね。
石工のニヤリが~

築造絵馬より
明治期に造られた黒田池
溜池の向こうに
二上山から葛城の峰が~

※堤に石碑が~

日露戦争記念碑



石工
板ヶ瀬 船岡仁三郎さん

※廬戸池碑
黒田池の顕彰碑ですね。

神社前の太子道~

※太子道を見返って~

 条里制の名残
稲もタワワに実っていました。

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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