古/いにしえの面影       其の一阡壱百六拾八

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2015年09月30日 水曜日
アップ日  2015年12月10日 木曜日
奈良県北葛城郡河合町川井(廣瀬神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は、奈良県北葛城郡河合町にある神社。
旧称は廣瀬神社(ひろせじんじゃ)。
式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する地点であり、
このことから水神を祭る。
社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長・廣瀬臣藤時に託宣があり、
水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化しタチバナが数多く生えたことが天皇に伝わり、
その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。
龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。
『日本書紀』天武天皇4年(675年)4月10日条には風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述があり、
これが4月・7月に行われる廣瀬大忌祭の起源とされている。
『延喜式神名帳』では「大和国廣瀬郡 廣瀬坐和加宇加売命神社」として名神大社に列し、
月次・新嘗の幣帛を受けると記載されている。
永保元年(1081年)に最高位の正一位の神階を受けている。
後の二十二社の一つともなった。明治4年、官幣大社に列格した。
第二次大戦以降、廣瀬大社と称するようになった。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

教育委員会、観光ボランティアガイドの会
助かります。



県道沿いの目立つ鳥居

※脇には社歴が~

参道脇の目立つ木

※モチノキでしょうか?
トリモチ採った跡が~

 三輪山遥拝所

※川の堤に平行して長い社杜が~

多くの摂社があります。
日の丸大明神

※祖霊社

日吉社

※お稲荷様ですよね。

改修記念碑
拓本でもしたのでしょうか?
墨で見やすくなってます。

※百度石



※吽

参道途中です。

※嘉永二年製

ん?戦勝兵器
スポークは切られています。

※ワルシャワ株式会社


戦利兵器奉納記念碑

※寺内 正毅(てらうち まさたけ)
嘉永5年2月5日(1852年2月24日) - 大正8年(1919年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。
階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。書の雅号は桜圃、魯庵。「ビリケン宰相」の異名を持つ。
陸軍大臣(第15・16・17代)、外務大臣(第22・31代)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、
内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣(第22代)などを歴任した。
明治から大正にかけて陸軍軍人として活躍し、第1次桂内閣では児玉源太郎の後任として陸軍大臣に就任した。
以来、第1次西園寺内閣や第2次桂内閣でも陸軍大臣を務めた。
その後、曾禰荒助の後任として韓国統監に就任し、日本への併合を推し進めた。
韓国併合後は朝鮮総督に就任した。
のちに内地に帰還すると、寺内内閣を発足させ、内閣総理大臣を務めるとともに、
外務大臣や大蔵大臣といった国務大臣を兼任した。
なお、元帥府に列せられていることから、階級を呼称する際には元帥の称号を冠して「元帥陸軍大将」と称される。
(Wikipediaより)


正面から~

※上の百度石の背には
大正二年に陸軍歩兵上等兵 奉納
陸軍とのつながりが濃かったのでしょうか?

 広瀬社扁額

※手水舎の龍

手水鉢

※日本書紀によりますと1300年前に天武天皇が在位4年(675年)
この地に水の神を祭り五穀豊穣を祈願する「大忌祭」おおいみの祭りを始めたと伝えられています。
この祭りはその中の御田植祭礼が形を変えて残ったと言われています。
「大忌の神」は山の水が良い水となって稲の苗を育て穀物の豊かな実りをもたらす水の神さまです。
ちなみに当時の飛鳥川は今より水流も多かったようです。
毎年2月11日に奈良の広瀬神社で行われる奇祭「砂かけ祭り」は午前-11時の「殿上の儀」から祭りは始まります。
田を耕す人の役と農耕牛-の役をする人が登場し、地面を耕す動作をした後、
おもむろに手に持ったスコップで周囲の人々に砂をかけます。
見物人もまた砂をかけ返します。これは砂を雨に見立ててかけ合い、米が豊かに実るように祈るのだそうです。
砂かけが終わると巫女さんが田植えの儀式をし、最後には「松苗」と「田餅」が撒かれます。
(看板より)


長い参道を歩いて~
四つ脚門潜って~

※拝殿正面から~

絵馬堂

※内部には青銅製馬が~
高岡製
 
拝殿社内部



檜皮葺屋根
金飾り付き

※石灯籠

境内地内最古の本殿社は
1711年に「造営されたとか~
一間社春日造り

※旧木材も~

明治34年 大阪瓦町堺筋銘

※献灯

銀杏が色づき始めました。

※橘の実

水足明神(みずたる)

※一隅亭

 大和川の堤にて
往時を想いながら~
上流側

※下流側~

堤からは南に社杜は伸びてます。
遠く金剛葛城の峰が~

※サネカズラの実が赤く~

紅葉は、もう少し~

※紅葉の季節には
綺麗でしょうね。

太鼓橋~
広瀬橋

※橋渡れば向こうに
旧:市場の集落

朱塗りではないですが…
下の川辺りに
水上交通の要、川合浜が有って
物資の集散地として賑わったとか~

※見返りながら~
杜の深さが目立ちます。

市場の集落

※集落入口に
古墳でしょうね。

古墳守りの小さな神社も~

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.