古/いにしえの面影       其の一阡壱百六拾九

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2015年09月30日 水曜日
アップ日  2015年12月10日 木曜日
奈良県葛城市新町(笛吹若宮神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は、奈良県北葛城郡河合町にある神社。
旧称は廣瀬神社(ひろせじんじゃ)。
式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する地点であり、
このことから水神を祭る。
社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長・廣瀬臣藤時に託宣があり、
水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化しタチバナが数多く生えたことが天皇に伝わり、
その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。
龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。
『日本書紀』天武天皇4年(675年)4月10日条には風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述があり、
これが4月・7月に行われる廣瀬大忌祭の起源とされている。
『延喜式神名帳』では「大和国廣瀬郡 廣瀬坐和加宇加売命神社」として名神大社に列し、
月次・新嘗の幣帛を受けると記載されている。
永保元年(1081年)に最高位の正一位の神階を受けている。
後の二十二社の一つともなった。明治4年、官幣大社に列格した。
第二次大戦以降、廣瀬大社と称するようになった。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

新町池
江戸期から明治期に作られたとか。

※先人からの贈り物

説明書きもない、この碑は読めない…
岡?之?久福君記念碑
掘りにくかったでしょうね。。。


JR和歌山線の線路向に新町の街並み

※こちらに目を向けると
池の周りに小さな森が~

森の中には~
小さな祠

※真新しい祠
2社

甘田川には鉄道ができるまで、
十石舟が物資の運搬に使われていた。
その時の金毘羅様とか。

※池を少し埋め立てて
市民の憩いの場所に~
バックは青空に
葛城~金剛の峰

池と鉄道の間に用水路

※和歌山側

奈良側

※踏切傍には地蔵堂

東へ~



下街道
奈良側

※和歌山側

小さな石橋で~



手水舎

※遥拝所+手水鉢

若宮金毘羅宮

※本殿舎

大木を神様として~

※誰?落書を彫ったのは。。。
神様ですよ~

樹勢は悪いのでしょうか?
サルノコシカケが…

呆れるわ!

※拝殿向に~

葛城山の麓に笛吹集落が有りますね。
其処から勧請されたんでしょうか?

※新庄 伏見石材店


※本殿舎
北側より~

用水路が
景色に溶け込んで~



屋敷門

※水門も有りますよ!

集落の周りには黄金の田圃

※国道挟んで
向こうは南花内とか~

秋空に~

※法華経塚とか…

明治の地理院地図にも載ってます。

※少しホッペの可愛い
仏様が~

正面から~

※奉納書写1石1字
今もでしょうか?

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.