古/いにしえの面影       其の一阡壱百七拾八

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年10月10日 金曜日
アップ日  2016年01月26日 火曜日
兵庫県神戸市東灘区(R43号沿線)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
国道43号
大阪府大阪市西成区から兵庫県神戸市灘区へ至る一般国道である。
大阪 - 西宮間は、往時の中国街道(中国路 1 2 3、浜街道)と重なる区間をとっている。
大阪市西淀川区出来島2丁目以西は全区間阪神高速3号神戸線が真上を通り、
阪神高速17号西大阪線の全区間はこの国道43号と並行に経路をとる。
このため深刻な大気汚染が発生している。
西淀川公害訴訟では自動車排気ガスの健康被害が初めて認められた。
これを受けて、速度規制(40km/h、一部区間で50km/h)、
逆位相による防音措置、多数のオービス設置などの処置が施された。
西淀川公害訴訟の結果に加え、1995年の阪神・淡路大震災の被災・復興も兼ね、
43号は広域防災帯と位置づけられた。
両側車線数削減を実施し、用地買収がなされている。
このため、開通当時は5車線だったのが、
その後緑地帯追加で4車線となり、
震災後は阪神高速湾岸線へ交通移動も考慮して3車線となっている。
さらに歩道を挟んで外側に、緑地が確保されている場所もある。
(Wikipediaより)


お仕事よ!お仕事~
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

住吉南町
呉田会館前
住吉神社旅所に建っていた
旧西国街道の道標とか~

住吉大明神
左 大坂

※右 兵庫

 新在家南町の妙善寺さん横~
朱色の鳥居が目に付きます。

※手水鉢

徳房大明神サン

※稲荷社でしょうか?

昭和9年
50年記念
明治期の神様



世話人碑

※ 昭和14年銘

阪神電鉄大石駅
六甲の峰が~

※御影塚町の
史跡 処女塚古墳

円墳方向

※方墳方向~

西側正面
処女塚古墳(おとめづかこふん)は兵庫県神戸市東灘区御影塚町
にある全長70mの前方後方墳、箱式石棺。
築造年代は4世紀前半と推定されている。
1922年(大正11年)3月8日に国の史跡に指定された。
主に山陰系土器が出土しており石屋川流域に存在する郡家遺跡集落の一部とされている。
所在地から西約2000mの位置にある西求女塚古墳、
東約1500mの位置にある東求女塚古墳とともに、
万葉集や大和物語などに登場する悲恋伝説(菟原処女の伝説)の舞台として知られている。
古墳の際には、湊川の戦いに敗れた新田義貞を逃すために
この地で討ち死にした小山田高家の石碑が建っている。
(Wikipediaより)


※東側

東側に
小山田高家の碑
延元元年(1336)湊川の戦いに敗れた
新田義貞の身代わりに
此の地で討たれた。
太平記に描かれた此の武勇を記念して
弘化3年、時の代官竹垣三左衛門藤原直道が
建てたとか~(看板より)


田辺福麻呂の歌碑
『古の小竹田壮士の妻問し
菟原処女の奥つ城ぞこれ』

万葉歌人の感動の歌とか~

東明八幡宮サン

拝殿社

※管公船繋の松



※天神橋の親柱

明治7年に大阪~神戸間に鉄道が建設され、
その間に神埼・西宮・住吉・三宮の駅が設けられた。
此の碑は、西国街道を通る旅人に住吉駅を教える為に
明治14年に建てられたもの。
従是住吉ステーション迄九丁四十五間
(東灘歴史掘り起こし隊看板より)


前には~
1 2

※西国街道道標
すぐ 大坂道

是 徳本上人石碑
すぐ 兵庫

※嘉永二年
和泉屋

魚崎町道路元標
好きですねん!

※東灘歴史掘り起こし隊看板
助かります。

出雲大社地鎮祭守護地碑

※西国街道
右 大坂道

明治期大阪相撲の横綱

五百地公園
(イオチ コウエン)

魚崎八幡宮
鳩フォントですね。

※後鳥羽院天皇御神霊通御御小休奮跡
後鳥羽天皇
安徳天皇が退位しないまま後鳥羽天皇が即位したため寿永2年(1183年)から
平家滅亡の文治元年(1185年)まで在位期間が2年間重複している。
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した際、神器のうち
宝剣だけは海中に沈んだまま遂に回収されることが無かった。
文治3年(1187年)9月27日、佐伯景弘の宝剣探索失敗の報告を受けて捜索は事実上断念された。
以後も建久元年(1190年)1月3日に行われた天皇の元服の儀なども神器が揃わないまま行われた。
承元4年(1210年)の順徳天皇践祚に際して、
既に上皇になっていた後鳥羽天皇は奇しくも三種の神器が
京都から持ち出される前月に伊勢神宮から後白河法皇に献上された剣を宝剣とみなすこととした。
だが、後鳥羽天皇はその2年後の建暦2年(1212年)になって
検非違使であった藤原秀能を西国に派遣して宝剣探索にあたらせている。
承久の乱後、鳥羽上皇は隠岐島(隠岐国海士郡の中ノ島、現海士町)に配流された。
(Wikipediaより)


酒家中銘
石燈籠



手水舎

※献灯
寺田定蔵
石畳に黒にゃんこ~

魚崎町青年団
皇紀2600年
国旗掲揚台



神依松縁起
古老曰く、昔神功皇后三韓征伐時の折、五百艘の軍舟を用いた。
凱旋途中に此の地沖で軍舟が進まなくなり磯辺の松に繋ぎ、神々の託宣を受けた。
その後、松は枯れ株のみに成ったが覆屋を作り神依松とし祀った。

大正期の物

本殿舎と摂社松尾社

狛犬常磐


※吽

神依松

※灘の酒蔵
魚崎郷の証

お百度石

帰路にR43号で見つけた
西宮市標識
かなりの歴史が~

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.