古/いにしえの面影       其の一阡壱百八拾八

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年10月20日 月曜日
アップ日  2016年02月10日 水曜日
兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町(須磨浦公園)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
平敦盛:1184年(元暦元年)(平家方の呼ぶ寿永2年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の
一戦である須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で、平家軍は源氏軍に押されて敗走をはじめる。
平清盛の甥で平経盛の子、若き笛の名手でもあった平敦盛は、
退却の際に愛用の漢竹の横笛(青葉の笛・小枝)を持ち出し忘れ、
これを取りに戻ったため退却船に乗り遅れてしまう。
敦盛は出船しはじめた退却船を目指し渚に馬を飛ばす。
退却船も気付いて岸へ船を戻そうとするが逆風で思うように船体を寄せられない。
敦盛自身も荒れた波しぶきに手こずり馬を上手く捌けずにいた。
そこに源氏方の熊谷直実が通りがかり、格式高い甲冑を身に着けた敦盛を目にすると、
平家の有力武将であろうと踏んで一騎討ちを挑む。
敦盛はこれに受けあわなかったが、
直実は将同士の一騎討ちに応じなければ兵に命じて矢を放つと威迫した。
多勢に無勢、一斉に矢を射られるくらいならと、敦盛は直実との一騎討ちに応じた。
しかし悲しいかな実戦経験の差、百戦錬磨の直実に一騎討ちでかなうはずもなく、
敦盛はほどなく捕らえられてしまう。
直実がいざ頸を討とうと組み伏せたその顔をよく見ると、元服間もない紅顔の若武者。
名を尋ねて初めて、数え年16歳の平敦盛であると知る。
直実の同じく16歳の子熊谷直家は、この一ノ谷合戦で討死したばかり、
我が嫡男の面影を重ね合わせ、また将来ある16歳の若武者を討つのを惜しんでためらった。
これを見て、組み伏せた敵武将の頸を討とうとしない直実の姿を、同道の源氏諸将が訝しみはじめ、
「次郎(直実)に二心あり。次郎もろとも討ち取らむ」との声が上がり始めたため、
直実はやむを得ず敦盛の頸を討ち取った。
一ノ谷合戦は源氏方の勝利に終わったが、若き敦盛を討ったことが直実の心を苦しめる。
合戦後の論功行賞も芳しくなく同僚武将との所領争いも不調、翌年には屋島の戦いの触れが出され、
また同じ苦しみを思う出来事が起こるのかと悩んだ直実は世の無常を感じるようになり、
出家を決意して世をはかなむようになる。
(Wikipediaより)


お仕事よ!お仕事~
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

この階段~
馬で駆け下りたら…
今ならJRに轢かれますな。。

沖には須磨海釣り公園~
釣れてるんでしょうかね??

※昔から山際まで
海岸線が迫っていた地区
JRと国道だけで目一杯!

史跡 敦盛塚

※名が有る方の墓は~大きいなぁ。
一般兵士も多く亡くなったんでしょうけど~
黙祷!

須磨浦ロープーウェイ
須磨浦公園駅

※生憎の雨なので~
折角乗るなら淡路島から大阪湾を
臨みたいなぁ~とパス!

鉢伏山上駅
其の上に、見えませんが~
はりま駅が有るとか。。

※うみひこ号
晴れた時に再来したいですね。

ねっ!
見通しが悪い…

狭い海岸線での
戦いだったんでしょうね。

※歴史の回廊ですって。。。

源平合戦800年記念碑

※JRの高架下
マンボウ

山陽須磨駅
オブジェ

山陽須磨駅から
JR須磨駅望む~

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.