古/いにしえの面影       其の一阡壱百八拾九

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年10月21日 火曜日
アップ日  2016年02月10日 水曜日
兵庫県神戸市垂水区垂水~西舞子(海神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
 
海神社(わたつみじんじゃ)は兵庫県神戸市垂水区宮本町に鎮座する神社である。
式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。
伊和神社、粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
「綿津見神社」とも表記され、「かいじんじゃ」とも読まれる。
古くは、あまじんじゃ・たるみじんじゃ、日向大明神、衣財田大明神。
「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき明治4年(1871年)に採用したものである。
『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としている。
「タルミ」の読みは、祭神の本来の名称が垂水神であったことによるものである。
「アマ」は、当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによる。
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったので、
皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津見三神を祀る
社殿を建てたのが始まりという。
『日本書紀』に記される広田神社・生田神社・長田神社住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが、
『日本書紀』の当該箇所に海神社に関する記述はない。
文献に現れる最も古い記述は、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に
神封戸10戸を寄進するという記述である。
当所は海上交通の要地であることから古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。
『延喜式神名帳』では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され、名神大社に列している。
中世以降、戦乱等のために社勢が衰えるが、天正11年(1587年)に豊臣秀吉が祈祷料として
垂水郷山内の山林を寄進、江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し、毎年2月に参拝するのを通例としていた。
江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に国幣中社に列格した際に
「海神社」に復称した。明治30年(1897年)に官幣中社に昇格した。
(Wikipediaより)


お仕事よ!お仕事~
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

山陽電鉄は塩屋辺りから
西側で高架に成っています。
似たような景色は~
前に小田原で見ましたが~

※昔から海岸べりは
公園整備されていたみたいで~
今では埋め立てられて
平磯海釣り公園や多目的グラウンドに~

福田川河口~

※官幣社 海神社サン

垂水の路地
海辺の路地風景~
1 2 3
 
※海神社
2の鳥居正面

狛犬は子持ち

※尻尾は
なにわ型

拝殿社正面

※手水舎

石畳

※明治維新百年記念
国旗掲揚台

海沿いの向こうに
1の鳥居(四脚門)

※石燈籠に盃状穴

近所の御宅の
鏝絵~
猫が鯉持って?
海の近くならボラ??
鯛か???

※右頭の
受聞新便郵
浮ドンどう??

立ち上がって二足歩行~
何持ってるの??

※結構、盛ってます。。

格子戸が~

アジュール舞子から淡路島と
明石大橋が~

※いつも行く散髪屋サンも
この辺りで釣りしてるとか~

向こうに五色塚
海から良く見えたんでしょうね~
有力な豪族の墓

※私も釣りしたいなぁ~

貨物船かタンカーか~

※MARINEPIA KOBE

舞子公園東

※現代の残念石ですかね?

昔、埋め立て前に(?)
この辺りに舞子の六角堂が有ったと覚えています~

※あれですかね?

孫文記念館(そんぶんきねんかん)は、
兵庫県神戸市垂水区の舞子公園内にある博物館。
旧称は孫中山記念館(そんちゅうざんきねんかん)。
八角形の中国式楼閣『移情閣』は1915年築の現存する日本最古のコンクリートブロック造建造物で、
国の重要文化財に指定されている。
辛亥革命の父と仰がれる孫文(孫中山)を顕彰する日本で唯一の博物館として、
神戸潜伏中の彼をかくまった
川崎重工業の松方幸次郎との縁もあり、1984年に開設された。
建物は、華僑の貿易商、呉錦堂(1855年~1926年)の舞子海岸にあった別荘・「松海別荘」内に
1915年に建てられた八角形の中国式楼閣「移情閣」と付属棟などである。
建物は1890年代に現在の付属棟が建てられ、移情閣等が大正時代に新たに建てられた。
舞子公園内には2000年に移築された。松海別荘は1913年に孫文一行が神戸を訪れた際の歓迎会の会場であった。
現在、館内の壁面は復元製作された金唐革紙(手製の高級壁紙)によって装飾されて、
館内には孫文の著作や遺品などの貴重な資料が展示されている。
自筆の石碑「天下為公」も残っている
楼閣の「移情閣」という別称は、窓から六甲山地、瀬戸内海、淡路島、四国と「移り変わる風情」を
楽しめることから名づけられた。
また、楼閣の外観が六角形にも見えることから地元では「舞子の六角堂」と呼ばれている。
(Wikipediaより)

※明石大橋潜って
少し西側から~


海沿いの風景は大好きです!

国道地蔵様
座像ですが大きめですよ!

※山陽電鉄がJRと交差して
この辺りから海沿いを並走します~

明石大橋
一望に~



海岸段丘

※海鵜が
のんびりと~

時間厳守宣言都市明石
明石に入ります~

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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